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福島カツシゲ『本日も起志快晴!?』

毎日が攻めの姿勢

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鹿児島に行く前に③

アイツ、今、何してる?的な紹介、第3弾です。





昨日紹介したヨシノリくんと一緒に石巻に入った友人が、他に3人いました。ジュニア、やっぴろ、深吾くん。ジュニア(山本隆)は、元々の友人、いや、ライバルか?まぁ、そんな関係ですが、やっぴろと深吾くんとは、まだ、この時は友人になる前でした。そんな2人の珍しいツーショット

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2011年3月18日。石巻に入ってすぐの頃です。



『やっぴろ、今、事務局長やってるってよ。』



やっぴろ、上島安裕くんは、ピースボート災害ボランティアセンターで、事務局長をしているボランティアのプロフェッショナルです。いや、言葉のチョイスがオカシイですね。ボランティアではなく、災害支援のプロフェッショナルです。



大きな災害が起きてすぐは自衛隊が動きます。その後、早い段階でボランティアが必要になります。目に見える活動として、物資の配布や炊き出し、これらは、生きていく上で、急がなければいけないライフラインです。そして自宅の復旧活動として、家の泥出しなどがあります。



これらも支援活動ですが、ホントの意味で支え応援するのは、ライフラインの復旧以降に継続的に行われる活動なんじゃないかと思うのです。



やっぴろは、災害支援のプロです。では、プロって何よ?って事なのですが、経験や知識はもちろんですが、もうひとつ大切なモノを上げるなら『想像力』なんじゃないかと勝手に思っています。



やっぴろは、現在、2018年7月に起きた西日本豪雨災害で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町と東京の往復が続いています。今、何が必要で、2018年の夏休み以降、減っていくボランティアの人数で、どういう活動を優先しなければいけないか、また、どういう活動ができるのかを現場で判断しないといけないポジションにいます。



石巻にいた頃、やっぴろが、よく使っていた言葉を思い出します。



『ゆるやかに撤退しましょう。』



被災地で行っていた『炊き出し』や『物資の配布』そして『漁業支援』などは、いずれ、その支援活動を終える時が来ます。その時期というのは「はい、ここまでです。」と期限を決めての撤退ではなく、ゆるやかに撤退していく。



誤解を恐れずにいうなら、住民のみなさんが気づかないうちに撤退するのがベストじゃないかと思います。とても無責任な言葉に聞こえるかもしれませんが、いなくなった事に気づかないほど、必要ではなくなったタイミングという意味です。



もちろん、場所によって様々です。炊き出しをしていた場所があります。その近くで、休んでいたお店が再開しました。炊き出しは続けるべきなのでしょうか?



定期的に物資を配布してる場所の近くで、地元のスーパーが、従業員の皆さんの頑張りで、お店を再開させました。その横で、無料の物資を配布し続けるべきなのでしょうか?



そういった判断も出来るのが、災害支援のプロなんじゃないかと思います。そして、あの頃の『ゆるやかな撤退』を経験として、次の災害支援に活かすのが、プロなんだろうと思います。



もちろん、いつまでも撤退できなかった場所や活動もありました。ずっと手探りでやってきたので、常に葛藤と闘っていました。



そして『想像力』が、必要なんだと強く感じた、やっぴろの言葉があります。



先に書いたように、東日本大震災の発災直後の3月17日に、やっぴろたち4人は石巻に入りました。石巻の状況を見て、ボランティアの受け入れと、その活動のまとめ役をやっていたのが、やっぴろです。

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僕が石巻で活動してた時も、こんな姿をよく見ました。



そして、2011年のゴールデンウィークです。

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企業や団体のボランティアを合わせ1日約600人以上のボランティアが東京を中心に全国から来る事になり、やっぴろたち、受け入れる側は、大勢のボランティアを受け入れても活動が止まらない体制を整えないといけなかったのです。



もちろんボランティアは自己完結でやってきます。自分が滞在する期間の食料や寝泊まりするテント、そして、ボランティア活動をする装備など必要なものを持ち込んでやってきます。



ただ、大勢になると寝泊まりの出来る(個人だと車中泊をする人もいます)安全な場所の確保が必要になります。



特に、東日本大震災の時は、どこが安全で、どこが危険なのかを、遠方から来たばかりの人には判断出来なかったと思います。石巻に来た多くのボランティアは、専修大学のグランドにテントを持ち込んで寝泊まりをしてました。

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バスでやってきた600人のボランティアの人たちは、専修大学に来るまでに見た風景で、いろんな思いを抱えて、これからの活動に向かおうとしていたのだと思います。



そのボランティアの人たちに伝えなければならない大切な事は、たくさんあったと思うのですが、簡潔に3つの事だけを伝えていました。



①『安全第一・自分自身がケガをしないこと』

ケガをすることで、自分が活動出来なくなるのは当然ですが、現場の活動全体が止まることもあります。そして病院などに行くことになると、地元の人たちの診察に迷惑がかかります。大きなケガになると、ボランティア活動自体が出来なくなるということまで頭に入れて活動をしてもらいたい。という事。



②『待つことも活動』

被災した地域では、天気によって出来なくなる活動があります。安全を考えながら、待ってもらう事も出てきます。仕事を休んだり、短期間でボランティアに来てくれた人たちは、とにかく何かをやらなければという気持ちでいるというのは十分に理解できますが、活動しない勇気も持って欲しい。という事。



そして、3つ目が『想像力』です。



③『被災した人と同じ気持ちにはなれないけれど、その気持ちを想像しながら行動する』

これが一番大切だったような気がします。ここでは、家族や友人を失っていたり、家がなくなっていたり、ずっと避難所暮らしだったり、自分たちが経験したことのない事が一度に押し寄せてる場所なんだということを頭に入れて活動して欲しい。という事。



今日のブログの写真も、ほとんどはヨシノリくんが残してくれた記録です。

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貴重な入浴シーンです。



あの頃、毎日の活動を終えると倒れるように寝てました。車で少し走った場所の道の駅で、温泉が再開した時も、住民さんたち優先に入ってもらったので、お風呂に入ることは、ほとんどありませんでした。



この写真は、自衛隊の人たちが、お風呂を設営してくれた時、さすがに住民さんたちが笑いながら『あんたたちの方が汚いんだから、ちゃんと入んなさい。』と言ってもらい、汚い人の筆頭・やっぴろもお風呂に入ってました。



残してくれた記録のおおかげで、あいまいだった記憶が鮮明になることがあります。



やっぴろの結婚式で司会をやりました。素敵な奥さんでした。今は2人のこどもの父親です。今日は、東京にいるのでしょうか?真備にいるのでしょうか?奥さんや、こどもたちとは会えているのでしょうか?



ちょっと前に、久しぶりに一緒に飲んだりしたのですが、なかなか、ゆっくり会えない家族が待っていただろうなと、後になって反省しました。



鹿児島に行くのは、明日です。『第9回東日本震災からの復興を願って 吉俣良チャリティライブ』は・・・コチラ

| ヒトリゴト | 08:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鹿児島へ行く前に②

アイツ、今、何してる?的にご紹介。





何度か書いてると思うのですが、僕が石巻に行ったキッカケは、上野祥法、ヨシノリくんでした。



『ヨシノリ、今、安城で『KAZENOICHI(カゼノイチ)』って、カフェやってるってよ』

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2018年6月に立ち寄った時。



そもそも、安城ってどこやねん?って事ですが、愛知県安城市、名古屋の隣です。Google Mapだと

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『BOOK CAFE & BAR カゼノイチ』と出ます。



現在は、セメント文字で『CURRY COFFEE MUSIC BOOK KAZENOICHI』という素敵な看板を製作中のハズです。ただ、そうなると「で、メインは何?」という声が聞こえてきますが、彼の性格上、どれもメインで、その上、偏ってます。



ヨシノリくんは、震災後すぐに支援物資をトラックに積んで、東北へ向かいました。そして、石巻に入ったのが3月17日でした。



ヨシノリくんの本職は、省一くんと同じく写真家です。昨日紹介した省一くんとは違い、ヨシノリくんはカメラを持って東北に向かいました。伝えるために必要だという強い思いがあったからだと思います。



そして、あの頃の写真があるから、僕は、自分がいなかった時の石巻を、さかのぼって想像することが出来ます。



石巻では、必要な物資を配布し、料理も出来るヨシノリくんは、炊き出しを作り、それを届ける。たぶん、そんな単純な事ではなかっただろうと、彼が撮影した写真から想像します。

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とにかく人手が足りない。『人さえいれば、なんとかなる』と、SNSで呟き続けていました。

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僕が石巻に向かうキッカケになった男であり、言葉でした。



ヨシノリくんのカメラなので、本人が写ってるということはないのですが、誰かがシャッターを切ったのでしょう

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2011年4月3日の朝のヒトトキです。




今年も、オプシアミスミで、喋らせていただきます。ヨシノリくんから始まった、僕の石巻にいた時間を。詳細は・・・コチラ





鹿児島に行く前に③につづく・・・予定。


| ヒトリゴト | 22:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鹿児島へ行く前に①

キッカケの人たち。





2011年3月11日に東北地方で大きな地震がありました。2週間後に鹿児島で『10年間、このLIVEを続けて、鹿児島から応援したい。』と言って、吉俣良さんの呼びかけで始まったチャリティLIVEが、今回で9回目となります。



僕は、第3回目の2013年3月から参加させてもらっています。毎年、ステージでは、その時、僕が伝えられることを喋らせてもらっています。



今年は、石巻で活動してきた『記録と記憶』をたどりながら、そこで出会った人たちの活動を伝えられればと思っています。出会った人たちの『あの頃の活動』ではなく、今の活動や生活から伝えたいと思っています。



今も災害支援を続けてる人もいますが、僕も含めて多くの人たちは元の仕事に戻っています。新しく仕事を始めた人、仕事してない人、結婚した人、こどもを産んだ人、独身を続けてる人、別れた人など様々です。



あの頃のように、生活のド真ん中に石巻という町や、災害支援という活動があるのではなく、でも、生活の一部には、石巻があり、災害への関心があるのだと思います。そんな友人たちを『アイツ、今、何してる?』的に伝えたいと思います。



鹿児島に伝えに行く前に、このブログでも、紹介したいと思います。そんな今日の『アイツ』は、鈴木省一くんです。



『鈴木省一、今、倉敷市真備町で、写真洗ってるってよ』



東日本大震災後、自分に出来る事がないかと、3月末には、ボランティアとして石巻に向かっていました。そんな省一くんは、写真家(カメラマン)ですが、カメラを持って行きませんでした。



あの頃、写真を撮って伝えるというのは、大切な事でもありました。ただ、その活動は、自分以外の誰かがやるだろうと考え、自分のやるべき事は別にあると考えたからカメラは置いてきたと言ってました。



省一くんは、石巻から車で1時間ほどの雄勝町に、作った炊き出しを運ぶという活動を中心にやってました。そして、初めて雄勝町に向かった時に見た風景が、その後、ずっと石巻に残るキッカケだったと言います。

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2013年の1月から、省一くんは、石巻の町が朝を迎える直前の風景を撮影し続けていました。キッカケは、町の人が言った『無くなってしまうと、何十年とこの街に暮らしてる私たちでも、そこに何があったのか分からなくなる』という言葉でした。



その時の石巻の風景を遺さないと思い出せなくなる。記録としても記憶としても遺せるようにと感じたのだと思います。省一くんは、今、石巻に住んでいます。石巻には、移住したのではなく帰らなかっただけ。と言います。



石巻で写真を撮り、時々漁師をやり、結婚し、父親になりました。そして、今は、倉敷市真備町で、写真を洗っています。本日、省一くんがFacebookに書いていた真備での活動の思いです。



『アナログであるがために被災しダメージを受けてしまった昔ながらのアルバム。
しかし、アナログであったがゆえに手元に戻ることができるのです。アルバムには家族への愛が詰まっています。
この町で生きてきた記録でもあるこれらの写真が手元に戻って来るということは、この町で今を、そしてこれからを生きていく上で大きな力になると信じています。

まだ200件以上お預かりしている写真たちがいます。
これからどんどん外から来るボランティアが減っていくであろう状況の中で、いかにして地元の人たちを巻き込んだ形での活動として継続させていくかが課題です。 』

鈴木省一



そして、最後にもうひとつ。


本当は、『いしのまきのあさ』のFacebookページを覗いて、これまでに省一くんが撮ってきた写真も見てもらいたいのですが、Facebookをやっていない人には、今朝、省一くんが投稿し、その思いを綴った言葉を読んでもらいたいので、ここにアップします。



省一くんが、最初に見た雄勝の風景が、8年経って、彼にどう見えて、どう感じたのかが、書かれています。写真は、2018年12月31日に撮影した雄勝の朝の風景です。


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2019年の元旦は硯上山から雄勝湾を撮ると決めていた。
山頂から眼下に広がる穏やかに美しい海に今建造中の防潮堤がどのように映えるのか見たかったからだ。
ここ最近防潮堤を撮ることが多い。
僕自身が海沿いに居を移したからということもあるが、石巻の町の移り変わりを記録していこうとした時に今現在も大きく変化し続けている場所がどうしてもそこになるからだ。
そんな大きな壁を目の前にしていると迷いが出てくる。
自分が撮りたかったものはなんだったのか。

2013年1月、少しづつ変わり始めた石巻の景色の中に力強さを感じていた。それでもそこにあり続けようとする人の営みと変わらずそこにあり続ける自然の営みが次第に明るくなる夜明けの時間帯に命の鼓動を刻み始めているように思った。その光景に希望を見ていた。

撮り続けてきた7年間の間で変化を続ける風景と同時に僕自身の視点も変化していたのだと気づいた。それは長く住み続けていくうちに外の人としての視点から生活者の視点になっているということだ。
復興というものに進んでいく石巻の現状にどこかネガティブな感情を抱いている自分がいる。それが見る景色に希望以外の何か負の意識を混在させる。
それ故に迷う。
フラットでいるべきなのか。
否定はできない。
それがあることで安心して生活ができる。また戻ってこれる。少なからずそう思う人たちがいて、そしてその人たちを否定することはできない。

「防潮堤が完成したら生まれ故郷であるこの町を出て別の土地に終の住処を探すよ」と言っている友人がいます。

一つの風景に希望と絶望が混在する。


Facebookページ・・・いしのまきのあさ


2019年1月1日の【いしのまきのあさ】

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硯上山から雄勝湾を望む。




鹿児島では今回も『いしのまきのあさ』のフォトブックを、届けようと思っています。今年もオプシアミスミさんのステージにて行います。詳細は・・・コチラ



追伸:写真はすべて、鈴木省一くんの撮影です。

| ヒトリゴト | 13:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アヤシイ面接

いつもの喫茶店にて。




その喫茶店には、各テーブルにコンセントがあり、ネットも繋がり、珈琲も美味しい。もぉ、仕事をするための喫茶店といっても過言ではない。



そんなお気に入りの喫茶店に、2日続けて通ってるのだが、そこに、もうひとり続けて通ってる人がいる。僕より先に居て、僕より長く居る。



その人の声は、とても通る声で、かといってヤカマシイというわけではない。ひとりで来てるのだが、滞在中に、たくさんの人と会ってる。



どうやら、面接してるようだ。



で、聞こえてくる会話というか、ほぼ一方的なオシャベリが30分ほど続いて、面接された人は帰っていく。そして、その人は、本社に?電話をしてる。



次の人から電話が来たら、喫茶店を指定して、お店の前まで迎えに行く。そして、また30分ほど喋る。



こっちは、ひとりで静かに仕事をしてるので、ついつい聞こえてしまう。聞かないようにしてても、聞こえてしまう。で、気づいたのだが



これ、面接じゃないな。



もちろん、ずっと聞いてるわけではないのだが、聞こえてくるワードが



『もう、これからYouTuberは、頭打ちなんだよね』


『新しいアプリで配信してもらうだけなんだけど』


『ギャラっていうのは無くて、投げ銭というシステムなのね』


『じゃぁ、メリットは何?って事なんだけど』


『これさぁ、◯%だと、少ないって感じがするでしょ?』


『ポイントが上がると』



時折、耳に飛び込んでくるワードが、若干アヤシイ。いや、相当アヤシイ。



『時給制も可能なんだけど、最初にそのシステムは、やってないのね』


『どれぐらいの収入が得られるかっていうと、自分次第なの』




なぜだ?、なぜ面接されてる人は、こんなにアヤシイ誘いを黙って聞いてるんだ?その理由は、ハッキリしてる。



面接をしてる人が、こういう言い方をするとアレだが、カラダにピタッとしたニットの服にミニスカートの美人だからだ。



間違いない。



ええ、明らかに美人というカテゴリーに入る人です。どうすれば、この面接を受けられるんだろうか?



そんな事を考えながら、仕事に集中・・・した。

| ヒトリゴト | 16:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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全員集合

兄弟妹そして両親。




兄は、大阪の実家にある電気工事を継いでおりまして、妹は東京に住んでまして、親父は当然、実家の大阪におりまして、オカンは、ワケあって東京と大阪の二重生活をしてまして、自分は、どこに住んでるのかよく分からない毎日です。



そんな家族が揃いまして、まぁ、50歳も超えると、そういう全員集合というのは、冠婚葬祭の時ぐらいになりますね。まぁ、冠婚でいうと、残すところ僕だけになりましたが・・・



前回、全員集合したのを遡ってみると10年前でした。前回は、おじいちゃんの葬儀でした。そして、今回も葬儀でした。10年前に2歳だった甥っ子が、12歳になってます。



今回、実家には『オカンの終活』のお手伝いで、溜めに溜めた物を断捨離する予定を立てたところ、高校時代の部活(バレーボール部)の恩師が、定年という知らせを受け、高校時代の親友と恩師訪問をしようという事で、ここしか合わないというピンポイントで予定を組んだのですが



大阪に帰る前日に、叔父さんが亡くなった知らせが来ました。



もぉね、叔父さんが合わせてくれたというか、呼んでくれたとしか思えないんですよ。



自分の人生、なかなかの波乱万丈っぷりで生きてきましたが、記憶のない2歳から3歳にかけては、全く見ず知らずの人の家で、スクスク育ってきました。そんな僕が、今こうして暮らせてるのは、この叔父さんのおかげなのです。



身長も横幅も、とても大きかった叔父さんが、なんだか小さくなっておりました。なんの恩返しもできないまま、叔父さんには聞こえてないだろうとは思うのですが、顔を見て声をかけて送る事が出来たのは良かったなぁと、勝手に自己満足をしております。



オカンの終活を目的として、妹と実家にたまった荷物の整理をしてたら、まぁ、お決まりのように、山のように写真が出て来たのですが、整理してた封筒に入ってた1枚の写真を妹が何気なく出したら、叔父さんの若き日の白黒写真だったという、なんというか叔父さんの「お前たち、ワシ見とるからな」というお目付け役的な、見守るというよりは見張ってるという、キビシヤサシサを、ここでも感じさせてもらいました。



最近良く言われる『終活』というのは、もちろん年を取ったオカン自身の終活ではあるのだけれど、オカンがいろいろ物忘れしながらも元気なうちに、ちゃんとオカンとの別れの準備を終えておくという意味の『オカンとの終活』でもあるような気がします。



それこそ、叔父さんに見張られてるような・・・



そんな中、実家の荷物ともなると、自分の文字で『これは開けるな!』と書いたダンボールが出てきまして、もぉ、なんか、こっ恥ずかしいタイムマシーン的な匂いがプンプンするんですが



見事にこっ恥ずかしいもんが、わんさか出てきてました。



そんな話は、また後日書くとしよう。



さて、次に家族が集合するのは、誰の冠婚葬祭だろう?

| ヒトリゴト | 14:31 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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さぁ、次へ

よりによって・・・終演。




もう、かれこれ1週間が立ちましたが、2月4日、舞台【よりによって】が終了しました。今回は、映像製作で坂田直貴、映像出しで園田玲欧奈(共に劇団プレステージ)が手伝ってくれました。



千秋楽の開演前に、ヨシタクが、ステージ上にタイトル映像を出して写真を撮ろうという事になったそうです・・・よりによって、オレを忘れて。



どういうことやねん!!それでも、映像製作担当が、かろうじて・・・

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合成で切り抜けてた。



こんなバージョンも作ってやがったが・・・

吉村写真





そんなワケで、次に向かっております。

| ヒトリゴト | 02:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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暗黒の時代から抜け出した頃まで

舞台【よりによって】の観劇後。





スタッフの方から『福島さんに面会の女性が』ということで、心躍らせて行ってみたら、ちょっと前にブログでも書いた、上京後の『暗黒の時代』を知ってる、当時は女子高校生だった子が2人、すっかり素敵な大人女子になって会いに来てくれた。



たぶん、27,28年ぶり?



しかも、その子たちのうち一人が、吉村くんの昔のマネージャーさんの中学時代の同級生というミラクルなご縁。



いやいや、懐かしい話が出来て楽しかったなぁ・・・で、それだけで終わらなかったのです。しばらくしたら、階段を上ってくる(劇場が3階にあるので)見覚えのある顔



ん?クニちゃん?



おぉぉぉぉぉ、クニちゃんやないかい!!



上京後の暗黒の時代を経て、THE・NEWSPAPERも経て、その後『COLORS』として活動してた時に、照明をやってくれてたクニちゃんが、たまたま、学芸大学駅のパン屋さんで見つけたチラシに、演出・福島カツシゲの名前を見つけて、マチネとソワレの間に来てくれた。



これまた12年ぶりぐらい。



またまた懐かしい話をして、しかも手にはパンが入った袋を3つ持ってたので、帰り際に、そのパンの袋を受け取ろうかと思ってたら・・・そのまま持ち帰った。



差し入れとちゃうんかい!!




昨日は、そんな懐かしい人たちに会えた、ありがたい日でした。




いよいよ、本日、一人舞台【よりによって】の千秋楽。劇場に入ったら、いつものように一人稽古をしてるヨシタク。



この稽古も最後です。




今回の一人舞台は、吉村卓也が、新しいスタートを切るキッカケとなる作品なんだろうなと思います。



この期間中、演出をしてて、なんか一人舞台やりたくなったなぁ~。



うん、やるかどうかは別として、書き始めよう。



まもなく、開演です。

| ヒトリゴト | 19:01 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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アカンアカン

ヒッソリ置いたらアカン。




劇場の階段の踊り場から、まぁ、踊り場とは言っても、ココで誰かが踊ってるのを見たことないのだが、そんな踊り場から眺めると、隣のビルの屋上が見えます。



で、何気なく目をやるとドキッとしたわ!



ん?これは・・・



誰かの・・・頭?



キャ〜ッ!!





まぁ、隣のビルに美容室が入ってて、その美容室の練習用のアタマなんですけどね。で、そんな『ホラーな風景』をTwitterで呟いたりしました。

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今朝、ちょっとTwitterを見たら・・・

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数字の『4』が並んでた。



いやいやいや、もっと、こわいこわいこわい。

| ヒトリゴト | 09:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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冷やし中華始めてませんが

仕込み始めました。





駅から徒歩1分。おひとり様のお芝居空間をアレコレ仕込み始めます。





そして、客席は、お客さんに優しいひな壇に。



サイコーだ。



仕込みを舞台監督、照明、音響のスーパースタッフさんにお任せして、ちょっとスタバ空間へ。



長テーブル、独り占め。




おひとり様に優しい街、学芸大学駅付近。

| ヒトリゴト | 12:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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よりによって、毎日、稽古です。

あッ、舞台のタイトルが【よりによって】です。




別に「いやいや稽古してます。」って事ではないです。2019年に入ってからは、2月1日から始まる吉村卓也の一人舞台【よりによって】の演出をやってます。



舞台【Boss&Police】は、とねちゃん(東根作寿英さん)の俳優生活30年の節目という舞台で、脚本を担当し、今回の舞台【よりによって】は、ヨシタク(吉村卓也くん)の芸歴10年でのリスタートの舞台で、演出を担当しています。



とねちゃん、30年かぁ・・・って思ってたら、自分自身も30年でした。大阪から出てきて30年です。



上京生活30年です。



芸歴に関しては、どこからスタートなのかにもよるのですが、なぜか足にタイヤを付けて飛んだり跳ねたりという暗黒の時代が、29年前でした。



その後、THE・NEWSPAPERとして舞台に立ったのは、1992年頃(Wikipediaより)だそうです。



そんな27年とか29年とか、よく覚えてない芸歴の自分ですが、そろそろ、出演の舞台があってもおかしくないんじゃないかと思いながら・・・いろいろ狙ってます。もうしばらくお待ち下さい。



自分の事は、さておき、まずは、タクちゃんの、リスタートの舞台です。



僕は、伊村製作所のライブを見たことはないのですが、伊村製作所では見られなかった吉村卓也がいます。いるハズです。



2018年に【閉鎖】という形で、これまでにも歩いてた道を、気持ち新たに進んでる吉村卓也という役者が、約1時間20分、たったひとりで舞台に立ちます。



本日、稽古場での諸々の確認を終えて、明日から劇場入りです。その劇場『千本桜ホール』は、劇団プレステージの【Have a good time ?】以来です・・・たぶん。



そして、吉村卓也にとっては、伊村製作所として最初に立った舞台が千本桜ホールで、新しいスタートを切ります。



最初に届いたWEB版のチラシで

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ちょっとカッコつけてましたが・・・




劇場などの置きチラシは、舞台の中身に寄せて?

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カッコ・・・悪いです。



どんな吉村卓也を魅せてくれるか、ご期待下さい!



千本桜ホールで、お待ちしています。

| ヒトリゴト | 12:03 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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