チケット発走
という企画。
記憶の図書館に置いてた本が、一気に開きました。いやぁ、ビックリしたなぁ。
26日の火曜日に、群馬で撮影を終えて長野(佐久市)に向かってる途中で、碓氷峠を越えたのですが、その風景があまりに鮮明に蘇ってきました。車を運転しながら「あれ?なんでやなんでや?」と・・・
あ、そういえば、ここ歩いた。歩いて、この峠越えた。と。
さかのぼること15年以上前。COLORSというグループでお笑いLIVEをした後、リーダーの僕が必ずどこかに行かされてた時期がありました。
ちょっと前にブログに書いた2001年9月11日にロサンゼルス行きの飛行機に乗ってたのも、その企画でラスベガスに向かってる途中の出来事でした。たしか、その後なので、20年近く前になります。
その時の企画は『チケット発走』というのでした。LIVE終了後に、次回のLIVEのチケットを抽選で1名の方にプレゼントして発送してお届けするという企画でした。ただ、発送せずに発走するという文字に書き換えられてました。
しかも、当たった人が長野県松本市に住んでる人で、東京からチケットを発走、そう、チケット持って走りました。
初日・・・埼玉県の坂戸市まで(たしか55キロほど)走りまして、知り合いのお宅に泊めてもらいました。夜、お風呂に入ってる時から「ムリムリ、もうムリ、明日はムリ」って思ってたんですが、朝起きたら、それどころじゃなく、体が全然動かないんです。
で、そんな事を報告しに、電気の点いてるキッチンに行ったら、朝早くから、友人と友人のお母さんがおにぎりを握ってくれてまして「もう走れません・・・」とは言えなくて、玄関先で見送ってもらいました。
角を曲がった瞬間、倒れ込みましたが、それでも人間って前にすすめるんですね。発走といいながらも、走りではなく歩きでした。で、その日は、伊勢崎の手前で、またまた友人に泊めてもらいました。(この友人のお姉ちゃんが、めちゃくちゃオモシロイお姉ちゃんで、元気にしてるかな?)走る〜歩くに変わりましたが、その日も結局50キロ弱進みました。
3日目、さすがに友人が、「もうちょっと・・・もうちょっとだけ」と言って、松井田インター近くまで車で運んでくれました。そうです送ってくれたと言うより、運んでくれた感じです。なんか、完全にウォーキング・デッド、いや、ウォーキング・ハイになってたようで、そこから有名な横川の釜飯を通り過ぎて碓氷峠を歩いて越えたんですが、まだ、雪も残ってて・・・
車で、カーブを曲がるたびに番号が書いてあるのですが、その番号の看板をめちゃくちゃ鮮明に覚えてました。もしかしたら看板自体は新しいものに変わってるかもしれないけど、カーブのたびに番号があって、カーブのたびに「あの先が山頂でありますように」と祈りながら登ってました。
そういえば、途中で猿の群れに襲われたのも思い出しました。
で、軽井沢の町に到着して、車で走ってる時に、なぜか「この先に上田と小諸までの距離が書かれた看板があったよな・・・」と思いながら走ってたら

ありました。
松本は、小諸の先にあって、歩いてる時に「うわぁ・・・まだまだやん」っていう嘆きを強烈に覚えてました。
3日目は、小諸を越えて滋野駅、しげの駅、まさにオレの駅近くのガストで仮眠をとって前に進みました。
4日目に松本市に住んでるチケットが当たった人の自宅に無事チケットを届けたら、めちゃくちゃご馳走を用意してくれてて、ビールとか飲んで、帰りは新幹線に乗ったら秒殺で爆睡でした。
という思い出・・・なんか、いろいろやってきたなぁ、オレ。
この思い出を思い出して、いろいろ探してたら、昔のHDDの中に、その時に書いた原稿が出てきたので、また機会があったら、その時の原稿を書こうと思います。
さて、本日は『〜げんき』の収録日。メールの数は、前回まで順調に増えてましたが、今回、激減。一応、メールが来なければ、ひっそり最終回というお約束ですが、今回は、まだ最終回にはならなそうです。
毎週月曜朝7時の配信。メールアドレスは『karagenki2021@gmail.com』です。
アナタの元気は、ナニから?是非、メール待ってます。
記憶の図書館に置いてた本が、一気に開きました。いやぁ、ビックリしたなぁ。
26日の火曜日に、群馬で撮影を終えて長野(佐久市)に向かってる途中で、碓氷峠を越えたのですが、その風景があまりに鮮明に蘇ってきました。車を運転しながら「あれ?なんでやなんでや?」と・・・
あ、そういえば、ここ歩いた。歩いて、この峠越えた。と。
さかのぼること15年以上前。COLORSというグループでお笑いLIVEをした後、リーダーの僕が必ずどこかに行かされてた時期がありました。
ちょっと前にブログに書いた2001年9月11日にロサンゼルス行きの飛行機に乗ってたのも、その企画でラスベガスに向かってる途中の出来事でした。たしか、その後なので、20年近く前になります。
その時の企画は『チケット発走』というのでした。LIVE終了後に、次回のLIVEのチケットを抽選で1名の方にプレゼントして発送してお届けするという企画でした。ただ、発送せずに発走するという文字に書き換えられてました。
しかも、当たった人が長野県松本市に住んでる人で、東京からチケットを発走、そう、チケット持って走りました。
初日・・・埼玉県の坂戸市まで(たしか55キロほど)走りまして、知り合いのお宅に泊めてもらいました。夜、お風呂に入ってる時から「ムリムリ、もうムリ、明日はムリ」って思ってたんですが、朝起きたら、それどころじゃなく、体が全然動かないんです。
で、そんな事を報告しに、電気の点いてるキッチンに行ったら、朝早くから、友人と友人のお母さんがおにぎりを握ってくれてまして「もう走れません・・・」とは言えなくて、玄関先で見送ってもらいました。
角を曲がった瞬間、倒れ込みましたが、それでも人間って前にすすめるんですね。発走といいながらも、走りではなく歩きでした。で、その日は、伊勢崎の手前で、またまた友人に泊めてもらいました。(この友人のお姉ちゃんが、めちゃくちゃオモシロイお姉ちゃんで、元気にしてるかな?)走る〜歩くに変わりましたが、その日も結局50キロ弱進みました。
3日目、さすがに友人が、「もうちょっと・・・もうちょっとだけ」と言って、松井田インター近くまで車で運んでくれました。そうです送ってくれたと言うより、運んでくれた感じです。なんか、完全にウォーキング・デッド、いや、ウォーキング・ハイになってたようで、そこから有名な横川の釜飯を通り過ぎて碓氷峠を歩いて越えたんですが、まだ、雪も残ってて・・・
車で、カーブを曲がるたびに番号が書いてあるのですが、その番号の看板をめちゃくちゃ鮮明に覚えてました。もしかしたら看板自体は新しいものに変わってるかもしれないけど、カーブのたびに番号があって、カーブのたびに「あの先が山頂でありますように」と祈りながら登ってました。
そういえば、途中で猿の群れに襲われたのも思い出しました。
で、軽井沢の町に到着して、車で走ってる時に、なぜか「この先に上田と小諸までの距離が書かれた看板があったよな・・・」と思いながら走ってたら

ありました。
松本は、小諸の先にあって、歩いてる時に「うわぁ・・・まだまだやん」っていう嘆きを強烈に覚えてました。
3日目は、小諸を越えて滋野駅、しげの駅、まさにオレの駅近くのガストで仮眠をとって前に進みました。
4日目に松本市に住んでるチケットが当たった人の自宅に無事チケットを届けたら、めちゃくちゃご馳走を用意してくれてて、ビールとか飲んで、帰りは新幹線に乗ったら秒殺で爆睡でした。
という思い出・・・なんか、いろいろやってきたなぁ、オレ。
この思い出を思い出して、いろいろ探してたら、昔のHDDの中に、その時に書いた原稿が出てきたので、また機会があったら、その時の原稿を書こうと思います。
さて、本日は『〜げんき』の収録日。メールの数は、前回まで順調に増えてましたが、今回、激減。一応、メールが来なければ、ひっそり最終回というお約束ですが、今回は、まだ最終回にはならなそうです。
毎週月曜朝7時の配信。メールアドレスは『karagenki2021@gmail.com』です。
アナタの元気は、ナニから?是非、メール待ってます。
| COLORS | 07:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑
もっちゃん(08/28)
りんママ(03/10)
kimie(02/18)
(02/15)
富良野 瀬川謙二郎(02/13)
ゆっち(02/09)
ゆっち(08/31)
ノンタン(07/12)
ゆっち(03/09)
高田博厚(01/06)