宮城県亘理郡山元町
誰にバトンを渡すのか?
2022年3月16日の福島県沖地震から1ヶ月が過ぎました。4月11日(月)に、宮城県と福島県の県境の山元町に入り、12日火曜日から3日間の予定で、屋根の修復活動のボランティアにいってきました。
何をどう書いて伝えればいいのか分からないまま帰ってきて、ずっと考えてました。活動の最終日は雨に降られたので屋根の補修活動はできずでした。
実質2日間の活動でしたが、雨漏りしていた1軒のお宅の屋根は、雨が降る前に補修できたので少しホッとしています。
6年前に熊本地震の時は、内陸だったので津波の被害とは全く違って、倒壊した家屋から農機具を掘り出したり、倒壊の危険性のある家屋から、大事なものを取り出したり、また、梅雨が来る前にブルーシートをかぶせて、家屋の中に雨が入ってこないようにという活動がほとんどでした。
熊本での活動は:『自走という希望』 (2016年5月27日)

(2016年5月の熊本)
もうひとつ 『マイケル』 (2016年6月20日)を読んでいただければと思います。

(2016年、初めて小玉さんから屋根補修を教えてもらいました)
2022年4月11日の夜に宮城県に入り、12日から活動をさせてもらったのですが、この時期の東北は、ちょうど桜が満開でした。ただ、結局1枚も桜の写真を撮れなかったのですが

屋根からの写真に、遠く満開の桜が写ってました。
ここにも、遠くに桜が写ってます。

正直、僕は忘れていたのですが、去年(2021年)の2月13日の深夜11時過ぎにも福島県沖地震がありました。宮城県と福島県で震度6強の揺れがあり、その時にも多くの家屋が被災しました。あれから1年後、ほぼ同じ場所で、また震度6強の揺れです。
11年間で3度の被災。心が折れてもおかしくないと思います。そして、山元町だけでなく東北を出ていった人も少なくないと思います。
1年前にも屋根の補修に入って活動してるPBV(ピースボート災害支援)のチームに合流して、2年半前の鋸南町での屋根補修以来の屋根に上りました。2年前の鋸南町での活動から、屋根補修のやり方も変わってました。
これまでの屋根補修では、下から屋根の状況を見て

2階の屋根の状況を確認するには上るしかなかったのですが
今年は、まず・・・ドローンが大活躍してました。

屋根の破損状態を上らずに確認できます。
右側の屋根の鬼瓦が落ちかけているのと、よく見ると棟の部分が全部落ちているのが鮮明に分かります。

こうして確認できると、屋根に上る前に、どういう準備が必要かというのが分かるし、作業方針も決められます。

この家の住民さんにも見てもらって、どういう補修をしていくかを説明できるというのは、ホントに活動の効率がめちゃくちゃいいんです。(2年前は、屋根に上り、写真を撮って下りてきて、住民の方に見てもらうという時間が必要でした。)
そして、もうひとつ。現在の屋根補修作業では安全管理が徹底されています。
6年前の熊本では、もちろん細心の注意は払うのですが、実際にはハーネス(墜落防止のための装具)を持ってなかったし、ヘルメットは被ってましたが、ザイル(安全ロープ)やカラビナ(金属のリングになっている登山などに使われる道具)を体に付けての作業ではありませんでした。
2年半前の鋸南町では、ヘルメットとハーネスは必ず装備し、ザイルとカラビナを使って安全に作業していたし、今回の山元町では、更に厳しく徹底されていました。
そういう意味では、誰もが屋根修復のボランティア活動が出来るというわけではありませんでした。もちろん、屋根には上らずに出来る活動をしてもらっていました。
このブルーシートは、住民の方が自分で屋根に上って被せたものです。

2階の窓から、屋根に上って被せたそうです。
すぐ上には、2階の屋根の瓦が落ちていて、引っかかってはいますが、いつ落ちてきてもおかしくない状態です。

手前の20キロ以上ある鬼瓦も、かろうじて引っかかってる状態です。
今回の活動では初日5人、2日目4人で、このお宅を、雨予報の14日までに雨水が漏れずにすること、それは雨が溜まることなく流れるようにするという作業です。
2階の屋根以外では、大きく3箇所、ブルーシートの被せてる部分が破損して雨漏りしてる状態です。

作業の手順は、住民の方が一人で被せたブルーシートの下の状況を確認しながら丁寧に取り除きます。


25キロ以上ある鬼瓦を、手作業で降ろします。

雨の通り道を掃除して、水が流れていくようにします。

住民さんが使っていたブルーシートは再利用として、最後にシートを掛ける前のクッション材として使います。



この白いシート(ターポリン)は、運動会などのテントや横断幕でも使われる雨や風に強くて耐久性のある生地で、黒の布ガムテのように見えるテープは、アクリル系粘着剤の片面気密防水テープです。
写真を見ると、そんなテープの固定で大丈夫?という風にも見えますが、黒の防水テープは、かなり優れた粘着力を持ってます。そして、大事なのは、ガチガチに固定することではなく(近い将来瓦を張り替える予定があるなど)雨水が、上から下へ流れるようにして、水が溜まらないようにすることです。
もちろん、この方法がベストかというと、そうではないかもしれないけれど、それに関しては、後ほど書こうと思います。
大きく破損して、住民の方が自分でブルーシートを被せた箇所は

割れてる瓦を取り除き

割れてない瓦を並び替えて、下地が見えてる部分を出来るだけ小さく一箇所にまとめます。


そして、新しく下地を補強して、ターポリンのシートを被せます。その際に瓦とシートの境目は、瓦の下にシートを潜り込ませて雨水が流れていくようにします。


2階の屋根の棟の部分も、掃除してクッションを敷き、最後にターポリンシートを被せます。

2日間かかりましたが、なんとかしばらくの間、雨漏りせずに生活が出来ると思います。
今回、屋根修復の作業をしたお宅は、1ヶ月前の地震で屋根が破損したのではなく、1年前から、この状態でした。その理由は様々あります。
自分でブルーシートを被せて暫くの間は雨漏りを凌げたので、その後は「大変な思いをしてるのは自分だけじゃないから」と、我慢をされている人がとても多いです。鋸南町でもそれは感じました。
もちろんそれだけではなく、そもそも、どこに、どうやってSOSを出せばいいのか分からない人たちもたくさんいます。結局は社会的弱者、情報弱者が一番最後になってしまいます。
2年半前に鋸南町で活動していた時、台風から3ヶ月が経ってようやくSOSを出した人の家は、カビだらけでした。山元町だけでなく、周辺の町、特に福島県の相馬市、南相馬市は、まだまだ屋根にはブルーシートが張られていて、そのブルーシートが風でなびいてました。
おそらく、自分でシートを張ったのだと思いますが、雨は全く凌げていない状態でした。まだまだ、そんな家がたくさんありました。
先程『この方法がベストかというと、そうではないかもしれない』と書きました。その町の社会福祉協議会や支援団体に届く物資(シルバーシート、ブルーシート、ターポリン、防水の粘着テープ)も、すべてが大量に入ってくるわけではないのです。そして、雨風に強い資材は、当然とても高額です。それぞれの支援団体が、限られた資材の中で、その時のベストな補修、ベター補修を考えてやっています。
補修の時期(罹災証明を住民の方が取ってるかどうかで補償金などの額が違ってきます)も、その家が、今後、どういう風に自宅再建していくかの計画によって大きく変わっていきます。
本来、そういう心配なく、補修できるのがベストだと思うし、そういう国の制度であって欲しいと思います。そして、そういう報道が伝わらなければいけないんじゃないかなと感じています。
いまボランティア活動をやってる人、出来る人も、この先いつか誰かにバトンを渡さなければいけない時が来ます。自分の身は自分で守る、自分の家は自分で守る。それが出来る人ばかりではないです。
ものすごくシンプルな言い方になりますが、お金に余裕のある人は、寄付してください。現在、様々な場所で活動してる支援団体への寄付が、一番必要な支援だと僕は思います。
被災した人の多くは「まさか自分が被災するとは思ってなかった。」と言います。いつか自分が被災する時が来るという想像力を持って欲しいと思います。
次回のポッドキャスト配信では、もう少し、伝わりにくいことを言葉で伝えられればと思っています。
活動報告と寄付はコチラから・・・PBV(ピースボート災害支援)のチーム
2022年3月16日の福島県沖地震から1ヶ月が過ぎました。4月11日(月)に、宮城県と福島県の県境の山元町に入り、12日火曜日から3日間の予定で、屋根の修復活動のボランティアにいってきました。
何をどう書いて伝えればいいのか分からないまま帰ってきて、ずっと考えてました。活動の最終日は雨に降られたので屋根の補修活動はできずでした。
実質2日間の活動でしたが、雨漏りしていた1軒のお宅の屋根は、雨が降る前に補修できたので少しホッとしています。
6年前に熊本地震の時は、内陸だったので津波の被害とは全く違って、倒壊した家屋から農機具を掘り出したり、倒壊の危険性のある家屋から、大事なものを取り出したり、また、梅雨が来る前にブルーシートをかぶせて、家屋の中に雨が入ってこないようにという活動がほとんどでした。
熊本での活動は:『自走という希望』 (2016年5月27日)

(2016年5月の熊本)
もうひとつ 『マイケル』 (2016年6月20日)を読んでいただければと思います。

(2016年、初めて小玉さんから屋根補修を教えてもらいました)
2022年4月11日の夜に宮城県に入り、12日から活動をさせてもらったのですが、この時期の東北は、ちょうど桜が満開でした。ただ、結局1枚も桜の写真を撮れなかったのですが

屋根からの写真に、遠く満開の桜が写ってました。
ここにも、遠くに桜が写ってます。

正直、僕は忘れていたのですが、去年(2021年)の2月13日の深夜11時過ぎにも福島県沖地震がありました。宮城県と福島県で震度6強の揺れがあり、その時にも多くの家屋が被災しました。あれから1年後、ほぼ同じ場所で、また震度6強の揺れです。
11年間で3度の被災。心が折れてもおかしくないと思います。そして、山元町だけでなく東北を出ていった人も少なくないと思います。
1年前にも屋根の補修に入って活動してるPBV(ピースボート災害支援)のチームに合流して、2年半前の鋸南町での屋根補修以来の屋根に上りました。2年前の鋸南町での活動から、屋根補修のやり方も変わってました。
これまでの屋根補修では、下から屋根の状況を見て

2階の屋根の状況を確認するには上るしかなかったのですが
今年は、まず・・・ドローンが大活躍してました。

屋根の破損状態を上らずに確認できます。
右側の屋根の鬼瓦が落ちかけているのと、よく見ると棟の部分が全部落ちているのが鮮明に分かります。

こうして確認できると、屋根に上る前に、どういう準備が必要かというのが分かるし、作業方針も決められます。

この家の住民さんにも見てもらって、どういう補修をしていくかを説明できるというのは、ホントに活動の効率がめちゃくちゃいいんです。(2年前は、屋根に上り、写真を撮って下りてきて、住民の方に見てもらうという時間が必要でした。)
そして、もうひとつ。現在の屋根補修作業では安全管理が徹底されています。
6年前の熊本では、もちろん細心の注意は払うのですが、実際にはハーネス(墜落防止のための装具)を持ってなかったし、ヘルメットは被ってましたが、ザイル(安全ロープ)やカラビナ(金属のリングになっている登山などに使われる道具)を体に付けての作業ではありませんでした。
2年半前の鋸南町では、ヘルメットとハーネスは必ず装備し、ザイルとカラビナを使って安全に作業していたし、今回の山元町では、更に厳しく徹底されていました。
そういう意味では、誰もが屋根修復のボランティア活動が出来るというわけではありませんでした。もちろん、屋根には上らずに出来る活動をしてもらっていました。
このブルーシートは、住民の方が自分で屋根に上って被せたものです。

2階の窓から、屋根に上って被せたそうです。
すぐ上には、2階の屋根の瓦が落ちていて、引っかかってはいますが、いつ落ちてきてもおかしくない状態です。

手前の20キロ以上ある鬼瓦も、かろうじて引っかかってる状態です。
今回の活動では初日5人、2日目4人で、このお宅を、雨予報の14日までに雨水が漏れずにすること、それは雨が溜まることなく流れるようにするという作業です。
2階の屋根以外では、大きく3箇所、ブルーシートの被せてる部分が破損して雨漏りしてる状態です。

作業の手順は、住民の方が一人で被せたブルーシートの下の状況を確認しながら丁寧に取り除きます。


25キロ以上ある鬼瓦を、手作業で降ろします。

雨の通り道を掃除して、水が流れていくようにします。

住民さんが使っていたブルーシートは再利用として、最後にシートを掛ける前のクッション材として使います。



この白いシート(ターポリン)は、運動会などのテントや横断幕でも使われる雨や風に強くて耐久性のある生地で、黒の布ガムテのように見えるテープは、アクリル系粘着剤の片面気密防水テープです。
写真を見ると、そんなテープの固定で大丈夫?という風にも見えますが、黒の防水テープは、かなり優れた粘着力を持ってます。そして、大事なのは、ガチガチに固定することではなく(近い将来瓦を張り替える予定があるなど)雨水が、上から下へ流れるようにして、水が溜まらないようにすることです。
もちろん、この方法がベストかというと、そうではないかもしれないけれど、それに関しては、後ほど書こうと思います。
大きく破損して、住民の方が自分でブルーシートを被せた箇所は

割れてる瓦を取り除き

割れてない瓦を並び替えて、下地が見えてる部分を出来るだけ小さく一箇所にまとめます。


そして、新しく下地を補強して、ターポリンのシートを被せます。その際に瓦とシートの境目は、瓦の下にシートを潜り込ませて雨水が流れていくようにします。


2階の屋根の棟の部分も、掃除してクッションを敷き、最後にターポリンシートを被せます。

2日間かかりましたが、なんとかしばらくの間、雨漏りせずに生活が出来ると思います。
今回、屋根修復の作業をしたお宅は、1ヶ月前の地震で屋根が破損したのではなく、1年前から、この状態でした。その理由は様々あります。
自分でブルーシートを被せて暫くの間は雨漏りを凌げたので、その後は「大変な思いをしてるのは自分だけじゃないから」と、我慢をされている人がとても多いです。鋸南町でもそれは感じました。
もちろんそれだけではなく、そもそも、どこに、どうやってSOSを出せばいいのか分からない人たちもたくさんいます。結局は社会的弱者、情報弱者が一番最後になってしまいます。
2年半前に鋸南町で活動していた時、台風から3ヶ月が経ってようやくSOSを出した人の家は、カビだらけでした。山元町だけでなく、周辺の町、特に福島県の相馬市、南相馬市は、まだまだ屋根にはブルーシートが張られていて、そのブルーシートが風でなびいてました。
おそらく、自分でシートを張ったのだと思いますが、雨は全く凌げていない状態でした。まだまだ、そんな家がたくさんありました。
先程『この方法がベストかというと、そうではないかもしれない』と書きました。その町の社会福祉協議会や支援団体に届く物資(シルバーシート、ブルーシート、ターポリン、防水の粘着テープ)も、すべてが大量に入ってくるわけではないのです。そして、雨風に強い資材は、当然とても高額です。それぞれの支援団体が、限られた資材の中で、その時のベストな補修、ベター補修を考えてやっています。
補修の時期(罹災証明を住民の方が取ってるかどうかで補償金などの額が違ってきます)も、その家が、今後、どういう風に自宅再建していくかの計画によって大きく変わっていきます。
本来、そういう心配なく、補修できるのがベストだと思うし、そういう国の制度であって欲しいと思います。そして、そういう報道が伝わらなければいけないんじゃないかなと感じています。
いまボランティア活動をやってる人、出来る人も、この先いつか誰かにバトンを渡さなければいけない時が来ます。自分の身は自分で守る、自分の家は自分で守る。それが出来る人ばかりではないです。
ものすごくシンプルな言い方になりますが、お金に余裕のある人は、寄付してください。現在、様々な場所で活動してる支援団体への寄付が、一番必要な支援だと僕は思います。
被災した人の多くは「まさか自分が被災するとは思ってなかった。」と言います。いつか自分が被災する時が来るという想像力を持って欲しいと思います。
次回のポッドキャスト配信では、もう少し、伝わりにくいことを言葉で伝えられればと思っています。
活動報告と寄付はコチラから・・・PBV(ピースボート災害支援)のチーム
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