あっという間に1週間を切りました
再演の舞台をやる時は、よく『思い出し稽古』という言い方をします。いわゆるセリフを思い出す稽古なのですが、僕たちの場合は、セリフや動きを思い出す稽古ではなく、9年前のあの頃の事を思い出す時間なのかなと思います。
少し前に、知り合う事が出来たChoose Life Projectの代表、佐治洋さんが『同じようなメッセージでも何度でもしつこく発信していく』と仰ってました。衝撃を受けた言葉だったので実践しようと思います。
僕が、この舞台をやる時に思い出す事があります。ひとつは、阪神淡路大震災の時のバタヤンです。
1995年の僕は、THE・NEWSPAPERというグループにいました。グループに入ったばかりの頃でした。1月17日、テレビ画面に映されていたのは、大阪にいた頃、よく通った阪神高速道路が横倒しになってる姿でした。神戸の灘区に住んでいたアニキ夫婦とは連絡が取れずにいたのに、大阪には戻りませんでした。
バタヤンは、同じくTHE・NEWSPAPERの事務所で働いてたスタッフでした。神戸出身のバタヤンは、地震からすぐに、事務所に無期限で休ませて欲しいと言い、バイクに乗って神戸に向かいました。それから、半年ほど帰ってこなかったような気がします。僕は、バタヤンには、なれなかった人間でした。
もうひとつ、名前は書きませんが、ハッキリと覚えています。2013年、初めての仙台公演で、本番前のリハーサル中に、スタッフの人に呼ばれてロビーに行きました。そこには、花束を持った女性が立っていました。
その女性は石巻の方でした。被災され、親族を失い、ホールの近くの仙台の仮設住宅に住んでいて、テレビで、舞台のことを知って、来て下さいました。長く続けていたボランティア活動の事、そして、舞台で伝える活動をしてる事に何度もお礼を言われました。
ただ、自分は、まだ見れないと仰いました。そして、もうひとつ、自分は石巻を捨てて仙台に来たと仰いました。僕は、何も言えずに、ただ花束を受け取って立っていました。
いつか見てもらえたらいいなとだけ思って、その女性を見送りました。いや、もしかしたら、見てもらえたらいいなと思えたのは、しばらくしてからで、自分の都合のいいように記憶を変えているのかもしれません。僕は、その場から逃げるようにリハーサルに戻ったような気もします。
あれから7年が経ち、あの日、まだ見れないと仰った女性の元に、この舞台の知らせが届くといいなと思っています。もちろん、まだ見れないかもしれないけど、もしかしたら見てもらえるかもしれない。
この舞台は、たくさんの人に見てもらいました。そして、今回も、たくさんの人に見てもらいたいと願っています。
最初に、思い出し稽古というのは、あの頃の事を思い出すと書きましたが、それは震災当時の事でもあり、ボランティアの活動をしていた時の事でもあり、全国で公演をしてきた時の事も思い出す時間なのです。
2013年の仙台公演の活動報告に、こんな事を書いていました。
ある番組で「思いを伝えるために俳優はいる。」と、高倉健さんは言った。舞台【イシノマキにいた時間】でも、想いを伝えられればと思って始めた。その想いは、ボランティアの人たちの想いからスタートし、舞台を重ねるうちに、石巻公演で背中を押してくれた石巻の人たちの想い、この舞台に関わってくれた全国の人たちの想い、そしてこの舞台を見てくれた人たちの想いも、次に公演する地の人たちに伝わればいいなぁと思っている。
仙台公演の後に、石巻にある追分温泉に行った時の写真です。

なんか・・・若いですね。
チケットは・・・コチラからどうぞ
2020年、この時代に、みなさんに想いが伝わればいいなと思っています。画面の向こう側にも伝わるように。
画面の向こう側でお待ちしてます。
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