アイツ、今、何してる?的な紹介、第3弾です。
昨日紹介したヨシノリくんと一緒に石巻に入った友人が、他に3人いました。ジュニア、やっぴろ、深吾くん。ジュニア(山本隆)は、元々の友人、いや、ライバルか?まぁ、そんな関係ですが、やっぴろと深吾くんとは、まだ、この時は友人になる前でした。そんな2人の珍しいツーショット

2011年3月18日。石巻に入ってすぐの頃です。
『やっぴろ、今、事務局長やってるってよ。』
やっぴろ、上島安裕くんは、ピースボート災害ボランティアセンターで、事務局長をしているボランティアのプロフェッショナルです。いや、言葉のチョイスがオカシイですね。ボランティアではなく、災害支援のプロフェッショナルです。
大きな災害が起きてすぐは自衛隊が動きます。その後、早い段階でボランティアが必要になります。目に見える活動として、物資の配布や炊き出し、これらは、生きていく上で、急がなければいけないライフラインです。そして自宅の復旧活動として、家の泥出しなどがあります。
これらも支援活動ですが、ホントの意味で支え応援するのは、ライフラインの復旧以降に継続的に行われる活動なんじゃないかと思うのです。
やっぴろは、災害支援のプロです。では、プロって何よ?って事なのですが、経験や知識はもちろんですが、もうひとつ大切なモノを上げるなら『想像力』なんじゃないかと勝手に思っています。
やっぴろは、現在、2018年7月に起きた西日本豪雨災害で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町と東京の往復が続いています。今、何が必要で、2018年の夏休み以降、減っていくボランティアの人数で、どういう活動を優先しなければいけないか、また、どういう活動ができるのかを現場で判断しないといけないポジションにいます。
石巻にいた頃、やっぴろが、よく使っていた言葉を思い出します。
『ゆるやかに撤退しましょう。』
被災地で行っていた『炊き出し』や『物資の配布』そして『漁業支援』などは、いずれ、その支援活動を終える時が来ます。その時期というのは「はい、ここまでです。」と期限を決めての撤退ではなく、ゆるやかに撤退していく。
誤解を恐れずにいうなら、住民のみなさんが気づかないうちに撤退するのがベストじゃないかと思います。とても無責任な言葉に聞こえるかもしれませんが、いなくなった事に気づかないほど、必要ではなくなったタイミングという意味です。
もちろん、場所によって様々です。炊き出しをしていた場所があります。その近くで、休んでいたお店が再開しました。炊き出しは続けるべきなのでしょうか?
定期的に物資を配布してる場所の近くで、地元のスーパーが、従業員の皆さんの頑張りで、お店を再開させました。その横で、無料の物資を配布し続けるべきなのでしょうか?
そういった判断も出来るのが、災害支援のプロなんじゃないかと思います。そして、あの頃の『ゆるやかな撤退』を経験として、次の災害支援に活かすのが、プロなんだろうと思います。
もちろん、いつまでも撤退できなかった場所や活動もありました。ずっと手探りでやってきたので、常に葛藤と闘っていました。
そして『想像力』が、必要なんだと強く感じた、やっぴろの言葉があります。
先に書いたように、東日本大震災の発災直後の3月17日に、やっぴろたち4人は石巻に入りました。石巻の状況を見て、ボランティアの受け入れと、その活動のまとめ役をやっていたのが、やっぴろです。


僕が石巻で活動してた時も、こんな姿をよく見ました。
そして、2011年のゴールデンウィークです。

企業や団体のボランティアを合わせ1日約600人以上のボランティアが東京を中心に全国から来る事になり、やっぴろたち、受け入れる側は、大勢のボランティアを受け入れても活動が止まらない体制を整えないといけなかったのです。
もちろんボランティアは自己完結でやってきます。自分が滞在する期間の食料や寝泊まりするテント、そして、ボランティア活動をする装備など必要なものを持ち込んでやってきます。
ただ、大勢になると寝泊まりの出来る(個人だと車中泊をする人もいます)安全な場所の確保が必要になります。
特に、東日本大震災の時は、どこが安全で、どこが危険なのかを、遠方から来たばかりの人には判断出来なかったと思います。石巻に来た多くのボランティアは、専修大学のグランドにテントを持ち込んで寝泊まりをしてました。

バスでやってきた600人のボランティアの人たちは、専修大学に来るまでに見た風景で、いろんな思いを抱えて、これからの活動に向かおうとしていたのだと思います。
そのボランティアの人たちに伝えなければならない大切な事は、たくさんあったと思うのですが、簡潔に3つの事だけを伝えていました。
①『安全第一・自分自身がケガをしないこと』
ケガをすることで、自分が活動出来なくなるのは当然ですが、現場の活動全体が止まることもあります。そして病院などに行くことになると、地元の人たちの診察に迷惑がかかります。大きなケガになると、ボランティア活動自体が出来なくなるということまで頭に入れて活動をしてもらいたい。という事。
②『待つことも活動』
被災した地域では、天気によって出来なくなる活動があります。安全を考えながら、待ってもらう事も出てきます。仕事を休んだり、短期間でボランティアに来てくれた人たちは、とにかく何かをやらなければという気持ちでいるというのは十分に理解できますが、活動しない勇気も持って欲しい。という事。
そして、3つ目が『想像力』です。
③『被災した人と同じ気持ちにはなれないけれど、その気持ちを想像しながら行動する』
これが一番大切だったような気がします。ここでは、家族や友人を失っていたり、家がなくなっていたり、ずっと避難所暮らしだったり、自分たちが経験したことのない事が一度に押し寄せてる場所なんだということを頭に入れて活動して欲しい。という事。
今日のブログの写真も、ほとんどはヨシノリくんが残してくれた記録です。

貴重な入浴シーンです。
あの頃、毎日の活動を終えると倒れるように寝てました。車で少し走った場所の道の駅で、温泉が再開した時も、住民さんたち優先に入ってもらったので、お風呂に入ることは、ほとんどありませんでした。
この写真は、自衛隊の人たちが、お風呂を設営してくれた時、さすがに住民さんたちが笑いながら『あんたたちの方が汚いんだから、ちゃんと入んなさい。』と言ってもらい、汚い人の筆頭・やっぴろもお風呂に入ってました。
残してくれた記録のおおかげで、あいまいだった記憶が鮮明になることがあります。
やっぴろの結婚式で司会をやりました。素敵な奥さんでした。今は2人のこどもの父親です。今日は、東京にいるのでしょうか?真備にいるのでしょうか?奥さんや、こどもたちとは会えているのでしょうか?
ちょっと前に、久しぶりに一緒に飲んだりしたのですが、なかなか、ゆっくり会えない家族が待っていただろうなと、後になって反省しました。
鹿児島に行くのは、明日です。『第9回東日本震災からの復興を願って 吉俣良チャリティライブ』は・・・
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