雄勝花物語の徳水さんに会ってきました。
3月10,11日のSMBC主催【イシノマキにいた時間】で、展示会を見て頂いたみなさん、そして12日に鹿児島オプシアミスミで行われた吉俣さんの【チャリティーコンサート】でも、雄勝花物語の話をさせてもらって預かった、みなさんからの想いを届けに雄勝町に行ってきました。
硯上山から見た雄勝の町(撮影:鈴木省一 2014年)

2011年5月、僕が最初に雄勝に行った時は、町があったことを想像できないぐらい何もかもなくなっていました。
この場所で徳水利枝さんが、瓦礫に埋もれた雄勝町味噌作の実家跡地に花を植えたことをキッカケに『雄勝花物語』が動き出しました。

徳水さんは『この場所に人の生活があったし、今も人がいるってことのサインのようなものを途絶えさせたくない』という気持ちが強くありました。
雄勝ローズファクトリーガーデン。
今は、花にとっては、春に咲くための力を蓄える大事な時期なので、色の少ない風景ではありますが、2015年6月の同じ場所からの風景は

こうして見ると、元々、こんな野原が広がった、のどかな風景だったようにも見えますが、ここら一帯は住宅地で、多くの人が住んでいました。今は、誰も住んでいません。住めない地域になっています。
6月の園内には、色とりどりの花が咲いていました。


雄勝ローズファクトリーガーデンでは、これまで多くのボランティアや企業研修を受け入れ、防災教育にも力を入れています。そんな徳水さんにとっても、これまでローズファクトリーガーデンに関わってきた人たちにとっても想いのある場所が、目の前を通る国道398号線の嵩上げ工事のために移転するという事を聞きました。
10,11日の公演後、12日の鹿児島で、このことを伝えて集まった募金の総額が678,315円という大金でした。
この金額、長く持っておくのは危険です・・・いや、使わないよ!もちろん使わないけど、何があるか分からないからね!!
そんなワケで、ものすごい弾丸ではありましたが、15日の深夜バスで石巻に向かいました。
いや、そらねぇ、深夜バスの座席の下にで70万円近くのお金があるわけです。しかも、貯金箱もあったりして、とにかく重い想いを抱えてると、心配で心配で、全く寝れない・・・かと思ったら、そこそこ寝れました。
6時40分に、石巻に着いて、写真家の鈴木省一くんと待ち合わせ、そこから雄勝を目指しました。徳水利枝さんとは昼過ぎにお会いしました。
この場所から移転する場所の話。
これまでの5年間は、この場所にこだわっていた事。
そして、これからの事。


徳水さんの話も、この冊子に載せさせてもらっています。
徳水さんと『雄勝花物語』で活動してる嶋田江利子ちゃんにも、みなさんの想いをお届けしてきました。

金額にも重さにも驚いてました。

ローズファクトリーガーデンでは、梅が咲き始めていました。
移転先としては、あの盛られてる場所がギリギリなのです。国道と県道から見える『新しい場所』としては、ギリギリ見える場所なのです。

この場所を、あの場所に。
本当にタイヘンだと感じました。もう一度、多くの人に来てもらわないと出来ないとも感じました。
徳水さんと会う前に、今回の展示会で協力していただいた方に挨拶にいってきました。
小川英樹さん。挨拶から始まったのですが

食べてく?と言われ・・・


ごちそうになりました。
もうひとり、どうしても会いたかったのが高橋頼雄さん。
英樹さんも、頼雄さんも笑顔で迎えてくれました。
英樹さんは、今の長面(ながつら)尾崎(おのさき)の話を、頼雄さんには、雄勝の防潮堤の話を聞かせてもらいました。冊子にも書いてありますが、改めて、その場所で、その場所の話を聞かせてもらいました。2人共、笑顔で話してくれるのです。
でも、笑顔の中の多くは、自分たちの思いが反映されない怒りというより諦めがあるような気がします。どうしても笑ってるようには見えないのです。笑うしかないというふうにしか見えないのです。
長面、尾崎では、水道が通っていません。そこには、行政の理由というより言いぶんがあります。危険区域で住んではいけない場所だからという言いぶんです。でも、長面にも牡蠣の処理場があり、そこで漁師を続けてる人たちがいるんです。
なにより、そんな場所で防潮堤の工事が始まっています。その工事には、100億円以上の予算が使われるのです。

水道を通すのには何百万円なのです。
雄勝では、今日の午後に会議があって、行政からの工事を始めるという連絡が来るのだと頼雄さんは言います。
ずっとこの場所を守ってきた人が、防潮堤が出来て、海とのつながりをなくすと、雄勝が瀕死の重傷を背負っていたけど、まだかろうじて生きてなんとか出来るという想いまで消える。それは耐えられないと言います。

震災後、ずっと雄勝町で先頭に立って走ってきた頼雄さんが、雄勝湾を取り囲む9.7メートルの高さの防潮堤の工事が始まれば、雄勝を出ると言っているのです。
守ってきた人が出なければならない理由が、僕には分かりません。
自分の中でも、もう少し整理するべきことがあるかもしれません。いろんな意見を聞かなければいけないのかもしれません。でも、今の時点で、納得出来ない人がたくさんいる中で進んでる復興があるのです。
頼雄さんだけでなく、ずっと仮設商店街「おがつ店こ屋街」として雄勝の町を守ってきた人たちが、商店街ごと移転しなければなりません。その移転先が、また仮設なのです。
まだまだ、伝えなければならない事があるのですが、その伝えた事は、どうすれば、その先に伝わるのだろうか?とも考えてしまいます。
復興とは何なのでしょうか?
3月16日22時前、東京に戻ってきました。写真は、すべて鈴木省一くんに撮ってもらいました。
ありがとう省一くん。
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